放蕩記

科学ライター 荒舩良孝の日記

映画

妻の誕生日とフレディ・マーキュリーの命日

今日は妻の誕生日。
そして、フレディ・マーキュリーの命日だという。
ということなら、あの映画を見にいかなければと言うことで、2人で映画館へ。
見たのは、もちろん、この映画。

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この映画は、いろいろな人が感想を述べたり、語っているので、今更僕が何かを言う必要もないだろう。
僕は、クィーンの熱烈なファンという訳ではないので、クィーンについて語る言葉も持ち合わせていない。
もちろん、クィーンの楽曲にはこれまでも触れたことはあるが、あくまでヒット曲として聞いていた。
でも、映画を通して、フレディ・マーキュリーの半生に触れると、今まで聞いていた曲も、違う印象になる。

フレディ自身、家にも、社会にも居場所がなくて、音楽で自分を表現できる場だった。
そう思って、 改めて曲を聴いてみると、ただのヒット曲ではなく、フレディの叫びだったのだなと思う。
こういう言葉を並べるのも陳腐な感じだけど。

映画の中のフレディは、才能の塊のような人だった。
欲をいえば、僕は若い頃のクィーンになる前のフレディの話をもう少し見たかった。
スーパースターの半生を綴るのは、2時間では時間が足りないだろうから、削った部分もたくさんあったのだろうな。
完全版みたいなものがつくられるのなら、それも見てみたい。
この映画は、クィーンをあまり知らない人にも見てもらいたいなと思う。 

樹木希林さん追悼特集

今日は文化の日ということだったが、僕は仕事中心。
博物館や美術館が無料になるところもあったので、行きたかったところだが。
それはそうと、11月1日から9日にかけて、池袋の新文芸座で樹木希林さんの追悼上映をやっているようだ。

 唯一無二の個性と存在感 追悼・樹木希林(新文芸座上映プログラム)

僕も時間が合えば、どこかのプログラムを見にいきたい。
5日や8日あたりで行けたらいいな。 
今日は短いけど、この辺で。 

映画「いつだってやめられる」続報

少し前に、イタリア映画「いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち」についての記事を書いた。

 久々に映画(放蕩記)

今日はその続報を少し。
この映画は東京だと渋谷のル・シネマで上映されてるが、よくよく調べてみると、ル・シネマでの上映は7月1日までのようだ。

詳しくは、「いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち」のWebサイトを見てくださいね。
劇情報はこちら

そして、第1作目の「いつだってやめられる 7人の危ない教授たち」はViva!イタリアというイタリア映画の上映特集の一環で上映されるようで、東京では6月30日から7月6日の期間で有楽町のヒューマントラストシネマで上映されるようです。
詳しくはこちらをどうぞ。

シリーズの映画は第1作から順番に見たいという心情があるので、東京でそれをやそうとすると、6月30日か7月1日しかチャンスがないということになります。

単館系の映画を見るときは計画が大切ですね。

この映画は3部作で、既に3作つくられているので、どこかで3作を同時上映してくれればいいのにな。


久々に映画

久しぶりに映画を見に行った。
「いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち」というイタリア映画だ。
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この映画は、一流の研究者だった人たちが、その能力を発揮する場がなく、研究者ギャングとして活躍する映画だ。
実は、1作目があって、今回見たのはシリーズの2作目だったことに、映画館に行ってから気がついた。

映画自体は1作目を見てなくても楽しめた。
見る前は、この映画はサスペンス調なのかなと、実際は、娯楽性の高いコメディだった。
しかも、登場人物が真面目であればあるほど笑えるタイプの。

この映画の根底には、学問や専門性のある知識が軽視されている現状の批判があるのだが、それを娯楽映画に仕上げてしまうところがすごいと思った。

ストーリーは全体を通せばシリアスな感じになるんだけれど、笑い倒した満足感が、それを凌駕するという稀有な経験をした。

このシリーズは、全部で3作あるらしいので、1〜3まで通して見たい。

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久々にギンレイホールに行ってきた(2)

今日は、昨日の続きで、ギンレイホールで見た映画「エール!」について。

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映画「エール!」は、2014年のフランス映画で、日本では2015年の秋に公開された。
舞台はフランスの田舎町で、主人公の一家は家族で酪農を営んでいた。
ここまではありふれた設定のように思えるが、実は、主人公の少女ポーラ以外は、お父さんも、お母さんも、弟も、みんな耳が聞こえないという設定なのだ。
それでも家族で力を合わせて酪農をやってきた。
家族の中で唯一耳の聞こえるポーラは、自然と社会との窓口というか、家族以外の人たちとの連絡役を引うけることになる。

生まれてからずっとそういう環境なので、ポーラ自身もその役割を当たり前のように引きうけていたし、家族もポーラが窓口となって、周りの人たちに説明するのは自然なことになっていたはずだ。
それが当たり前だし、生まれてからずっとその役割を引きうけてきたのだから、これからもずっとやっていくだろうと、一家の人たちは誰もが思っていたかもしれない。

でも、ふとしたきっかけでポーラが学校でコーラスを始めると、先生から歌の才能があるといわれ、パリの学校の試験を受けること勧められる。
この出来事をきっかけに、ポーラは自分の将来について葛藤するし、家族との関係も見直していく。
そんなストーリーだ。

人は生まれ育った環境に大きな影響を受けて考え方などを身につけていく。
家族の影響は絶大なものだが、それと同じように、場合によってはそれ以上に大きな存在となるのが教師や師とよばれる人だと思う。
人は誰と出会うかで人生が大きく変わると思う。

自分の才能に気づき、その才能に賭けてみたい。
自分のやりたいことをやり続けたい。
これは誰もが思うことだろう。

でも、実際に行動に移すのは勇気がいる。
自分で勇気をふりしぼって行動しているつもりでも、多かれ少なかれ周りの人たちに支えてもらっているんだな。
そんなことを感じる映画だ。
この映画は音楽映画で、ポーラ役のルアンヌ・エメラの歌声がすごく素敵だった。
アメリカのミュージカル映画のような派手さはないが、ところどころで聞こえる素敵な歌声が心にしみいる映画だった。